2020.01.15

なりわいを考えるシリーズ

まちと水ぞく。親しみ、その土壌。〜神戸市立須磨海浜水族園〜【前編】

まちと水ぞく。親しみ、その土壌。〜神戸市立須磨海浜水族園〜【前編】

文:大森ちはる 写真:いしづかたかこ

10年越しでおぼえていた。「須磨の水族館」だ。

神戸で暮らしていた幼少期。父の実家は須磨の東隣・神戸市長田区にあった。祖母は信心深いひとで、かの家で「須磨に行こう」といえば、向かうは須磨寺。車に乗せられ、国道2号線を西へ進む。長田のあたりは頭上を走る阪神高速のせいで車窓の外が常に薄暗いのだが、10分もかからず須磨区に入ると高速道路が北に逸れるので、急に視界が明るくなる。やっと抜けられた。開放感から間もなく通りかかるのが、「須磨の水族館」(両親も祖母もそう呼んでいた)だった。車からは見えないけれど、その裏手には砂浜が広がり、海もすぐそこだ。「お参りより水族館に行きたい」「また今度ね」。陰と陽。ハレとケ。幼心に「須磨の水族館」は近くて遠い、陽のあたるハレの場所だった。

たぶん、「また今度ね」はたびたび実現していたのだと思う。小学校にあがると同時に父の仕事で横浜に引っ越したので頻繁に訪れた記憶はないけれど、大学で神戸に戻り、二十歳を過ぎてデートで須磨海浜水族園(スマスイ)に行ったときに、懐かしかった。おぼえている。「須磨の水族館」だ。本館に入るなり、エイのおなかの白色がやけに目に飛び込んでくる大水槽。その左から入る通路に延々続く小さな水槽とそれぞれに暮らす魚たち。2階から大水槽を覗いたときの、岩場のレプリカの「水の上までは魚には見えないだろうに」感や磯っぽいにおい。2階から1階に続くスロープの無性に駆け下りたくなる勾配。

どうやら、いま聞くしかないらしい。

再訪から十数年、いまでは娘を連れて年に数回通うスマスイは、海水を使うこともあって築30年を超える建物や設備がほとほと「老い」を迎えているらしい。2020年4月に完全民営化されて、全面建て替えに入るという。「再整備事業の優先交渉権者(設置予定者)」として神戸市が選定したのは、鴨川シーワールドの運営会社などで構成されたグループ。

須磨海浜水族園・須磨海浜公園再整備事業の優先交渉権者(設置予定者)並びに計画概要が発表され、多くのお問い合わせをいただいておりますが、2020年3月までは、現在の展示やアトラクション、その他プログラム等はこれまで通り変わらず実施いたします。
なお、2020年4月以降は、再整備事業の優先交渉権者(設置予定者)にすべての運営を引き継ぐこととなります。
(オフィシャルサイト内「2019年9月13日付お知らせ」より)

開業以来60年にわたって神戸のまちでなりわい続け、全国トップ10に入る集客数を博しながら「入園者の5割は兵庫県民、さらにその5割は地元神戸市民」(オフィシャルサイト内「スマスイが愛される7のヒミツ大公開」より)の関係性を築いてきたまなざしを、中の人に聞けるのはいましかない。

通算25年スマスイにお勤めの大鹿達弥さんに教えていただいた。

大鹿達弥さん。神戸市立須磨海浜水族園 飼育教育部長。神戸生まれ、神戸育ち。後にも先にも一度きりの募集だった神戸市の水族専門職に採用され、1991年に入職。途中4年間、神戸市国際文化観光局に異動していたほかは、水族園公設民営化に伴う神戸市退職も経ながら、一貫して須磨海浜水族園でのキャリアで現在に至る。

ハレとケの境界があわい町、神戸。

陳舜臣のエッセイ集「神戸ものがたり」のなかに、「須磨の水族館は新しいが、その前身は遠く明治30(1797)年に創設された日本最初の水族館である」という一節がある。神戸はもともと水族館に縁深い土地だったのだろうか。

大鹿(敬称略):
スマスイは、いわば神戸で5代目の水族館です。
初代の「和楽園」がそれで、正確には、今日に通ずる「日本初の本格的な濾過槽設備を兼ね備えた水族館」。神戸の和田岬で開催された第2回水産博覧会の目玉のパビリオンで、めちゃめちゃ人気があったそうです。

その後、あいだに「楠公さんの水族館」「湊川水族館」をはさんで、4代目が、スマスイの直系にあたる昭和32年開業の「神戸市立須磨水族館」。高度経済成長に入る前のあの時代に国際都市・神戸として世界各国からいろんな水生生物を調達して、当時は「東洋一の水族館」と呼ばれていたそうです。水族館発祥の地としての自負も、そりゃああったと思いますよ。

長田区で生まれ育った大鹿少年の隣には、須磨水族館があった。「なんやいうたら、自転車で水族館に遊びに来ていた」という。日常的な娯楽の場所だったらしい。

大鹿:
「なんでもある」感じが好きでした。いまでも時折、当時のウミガメプールを懐かしむ声をいただくけれど、はたしてウミガメが主役だったかと聞かれると、そんな印象もない。メインがいないことがメインというか。あの頃はいま以上に学術的なところは言われていなかったでしょうから、淡水魚の横に海水魚がおったりなんかもしましたし。僕は標本コーナーも妙に好きでね。薄暗くてこども心にちょっと不気味で。だから、具体的に何がというよりは、来すぎて須磨水族館そのものを好きになったクチですね。

主役らしい主役を置かないのは、水族園になってからも引き継がれています。スマスイの展示バリエーション(約600種13000点)は国内でも大規模な方で、例えば大阪の海遊館よりも展示水槽の数が多い。海遊館は大きな水槽にジンベイザメが泳いでいて、スケールで評されるのはあちらですけど。

単純明快にジンベイザメやショーをメインに据えて「わーっ」と囃されている水族館と比べると、須磨はチープなんだなぁと思いますよ。まったく悪い意味ではなく。こうして水族館・園の両時代を通して60年間生き残ってこられたわけだし、神戸市民に受け入れられ、慣れ親しまれてきた生活文化なんですよ、これが。

「なんでもある」は、神戸そのものではないか。神戸にしかないものは、ほとんどない。一方、神戸にはだいたい何でも揃っている。海、山、街。明石海峡大橋、1000万ドルの夜景、市内4箇所もかかっているロープウェイ。サッカー場、野球場。スキー場、温泉。日本酒、神戸ワイン。空港、新幹線。動物園、そして水族園。

わたしが小中高の12年間暮らした横浜の町と、神戸。ともに港町という点で似ていると言われるが、人口370万人と150万人の差は大きい。みなとみらいとハーバーランド、それぞれにある中華街、新横浜と新神戸。何をとっても、神戸の方がこぢんまりとしている。神戸はそのこぢんまりさゆえ、観光地やレジャースポット(ハレ)と生活圏(ケ)の境界があわい。山に向かえば、布引ハーブ園は三宮から1駅、摩耶山なら同じく三宮から1駅とバス10分で、ロープウェイの麓の駅だ。海だって、そこらじゅうの岸壁でおじさんたちが釣竿を投げ込んでいる。

ケとひとつづきにハレを。ヒーローよりも群像を。このあたり、もしかすると神戸の性質なのか。

生息地域が異なる種を混合飼育している「なんでもある」大水槽は、世界中どこの海でもないスマスイだけの海中風景なのだそう。

大森 ちはる

CHIHARU OMORI

夫とひよこ(娘・小1)と3人暮らし。機嫌よく気前よく、神戸のまちで日々を営みたくて。

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