2021.01.20
なりわいを考えるシリーズ
矛盾にまみれる表現たち -編集者とイラストレーターの対談を前に-
文 たなかりな
今年こそこれがしたい。いつかあんなことをしてみたい。私はいつもやりたいことにまみれている。
あんなことができていいな。あんな風にできたら楽しいだろうな。私にはいつも何かへの憧れが溢れている。
しかしほとんどのことは言葉にするのは簡単で、実際に挑戦しようとすると重い腰が上がらなかったり、「楽しい」の境地に達するまでに飽きたり諦めたり。なかなか前に進めない。できないことがもどかしくて、でも憧れはまだあって。いざやってみると想像よりも楽しくなくて、でも嫌いにはなれなくて。この矛盾する想いはいったいなんだ?
「上手い下手じゃなくてもっと自分をえぐって落とし込む、そっちの方が全然大事」
これは我らが編集長の有田さんが、いつも編集道場を通して伝えていること。とても良い言葉だと思う。そんな言葉に後押しされて書かれた文章たちは、荒削りでいて繊細、まさに等身大のその人自身が現れている。しかし、そんな言葉をくれる有田さんは絵を描かない。理由は単純「下手」だからだ。
道場のコンテンツにイラストを多く掲載している十倉さん。先日発行された高砂ビル新聞の「ジャックと豆の木」は記憶に新しい。まだの方はご一読あれ。しかし彼女はここへ、文章を書くことに興味を抱いてやって来たはずだった。そんな彼女は今まで満足に文章を書いていない。
文章とイラスト。何かに特化しているちょっぴり羨ましい人たち。だけど私と同じ。ぼんやりとした矛盾を抱えるふたり。今回はそんなおふたりの対談に混ぜていただきました。
表現とは、なんのために存在するのか。
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