2020.02.17
なりわいを考えるシリーズ
神戸ノートはない?! 関西ノート株式会社
文:中埜久仁子 写真:大森ちはる
関西ノートが学習帳を始めたのは昭和27年。今の表紙に変わったのは昭和40年くらい。それから何も変わらず、神戸の小学生の学習帳と言えば「神戸ノート」になっている。
なぜ神戸ノートが長年、神戸っ子に受け入れられているのか?
その理由を探しに、関西ノート株式会社を訪ねた。
神戸ノートはない?!
大阪生まれ大阪育ちの私には理解できない、神戸の慣習がいくつかある。
その一つ、神戸の小学生は、なぜ神戸ノートを使うのだろうか?
神戸ノートを製造している関西ノート株式会社 相談役の大河さんは、「正式な商品名は、『関西ノートの学習帳』で、神戸ノートではないんですよ。お客様がいつの間にか『神戸ノート』と呼ぶようになりました。神戸ノートで商標もとっていません」と、いきなり衝撃的な言葉が。
神戸市民は知っているのか?あなたが使ってきたあの「神戸ノート」は神戸ノートではないことを。
関西ノートでは、神戸ノート(正式名ではないが、こう呼ばせてもらう)を始めたのは、昭和27年。朝鮮戦争が始まり、神戸では、戦争特需で儲かった人とそうでない人との間に格差ができた。裕福な家庭の子は舶来の文房具を使い、そうでない家庭の子はわら半紙をまとめてノートとして使う。そんな中、校長先生の会合があり、こんな格差を無くすため「文房具や学用品を共有化・共通化しよう」という話がでた。「規格化したノートを作れないか」と関西ノートに話が来て、学習帳の開発が始まったと言う。
地元愛をくすぐる
神戸ノートで思い出すのが、あの表紙。神戸の風景をモノトーンで色付けした表紙は長年変わらない。神戸ノートで思い出すのが、あの表紙。神戸の風景をモノトーンで色付けした表紙は長年変わらない。
「発売した当初はイラストでした。デザインを統一しようという話が出て、昭和40年くらいから写真を使うようになりました。神戸の風景を写真に使っています。写真が白黒なので、学年ごとに色付けをしています」と、大河さんは説明する。
背表紙にクロスを貼るので、クロスで写真のシンボルが消えてしまうものは避けている。また、表紙の中央にはタイトルが来るので、字が見にくくなる写真も避けているそうだ。昭和40年から写真は変えていないそうだが、今後も変える予定はないのだろうか?
「今のところはないですね。夏休みの自由研究で、神戸ノートの写真の撮影場所をまわるお子さんもいらっしゃいます。今年も二組から問合せをいただきました」と、大河さん。子どもが好きそうなキャラクターが入った表紙や、写真も最近の神戸の風景でもよいはず。デザインも昔のままで、どうして子どもたちに受け入れられているのか?子どもも反発しないで使い続けているのだろうか?
神戸で小学生を過ごした大人たちに聞いてみた。「昔から使っているから」「神戸ノート良いよ。大好き」というポジティブな意見から「他に選択肢がなかったから」という投げやりな意見まで…。
大阪人の私は、学習帳と言えばジャポニカ学習帳を思い出す、CMもよく流れていた。なぜ競合が入れなかったのだろう?大河さんは、「神戸ノートを売り出したのは昭和27年。競合が入っていたのが昭和45年くらい。CMも流れたのでそちらに変えた人もいただろうが、親や兄弟がずっと使っていたので、ノートと言えば神戸ノートじゃないの?というイメージがつき、シェアを奪われることはありませんでした」
特に、学校や文具屋さんに働きかけをしたのかと聞いてみても「何もしていませんね」と。
「神戸は地元愛が強いと思います。東京などで出身地を聞かれたら、神戸の人は『兵庫』と答えず、『神戸』と答えます。私もそうです。神戸ノートは地元愛をくすぐるのかもしれません」と大河さんは言う。
神戸では、生協を「コープさん」と敬称をつけてよぶ。神戸ノート以外によく見かけるブランドは「ベンツ」と「ファミリア」だ。ベンツは神戸が起点の会社ではないが、昔から地元の有力者が乗る車として安心して選んだのではないか。いつかは「クラウン」ではなく、神戸では「いつかはベンツ」なのかもしれない。地元産と、地元で愛用されているブランドに愛着と安心感を持つ神戸。だから人々は「神戸ノート」とよび、長く使ってきたのではないだろうか
私は、神戸に地元愛はあまり感じていない。神戸ノートしか選べないことに反発して、西宮や大阪で娘の学習帳を購入していた。琵琶湖に行ったときには、「滋賀ノート」(方眼)を見つけ、購入したことも。購入したものの、娘に「このノートは学校で使えない」と一蹴された苦い経験を持つ。大きさが学校から指定された規格と違うらしい。「開発当初、先生方から意見や希望を聞いたので、それが反映されているからではないでしょうか?発売当初は自分たちが企画したノートだから、担ごうと思っていたかもしれませんが、今はないでしょうね」と大河さん。
選択肢にとらわれないのが神戸流
選択肢がないことに対抗するより、あるものを受け入れる。現状を維持する。これは神戸らしい気がした。
私事恐縮だが、私は3年前長く勤めた大阪の会社を辞めて、その後、神戸の会社数社で働いている。大阪の会社に比べ、神戸の会社は、保守的というか、現状を維持する傾向が強いと思う。例えば、取引会社は変えようとしない。同じ会社と長く取引している。別の会社を探したり興味を持ったりすることも少ない。大阪の会社ではこんなケースは少なかった。もっと安い、もっと自社にあった会社があるのではないか?と、いつも探していたし、会社からも要求された。
また、大阪での会社員時代、異業種交流会や業界の研究会に参加したことがあったが、メンバーに、京都の会社は数社入っているが、神戸の会社はほとんどいなかったように記憶している。港町で昔から外国人がたくさん暮らし、解放的なイメージだが実は保守的に思う。
関西ノートでは、販売ルートの開拓や、教育委員会や学校に対する働きかけはやっておらず、販売は問屋にまかせているという。もし、関西ノートが自社でも販売を始め、子どもの好きなデザインを次々に展開していたら、どうなっていただろうか?たぶん今頃「神戸ノート」はないかもしれない。
選択肢を選ばないのが神戸流
学校でのICTが進み教材としてタブレットの導入も始まり、少子化も進んでいる。さらには紙の値上がりも続いている。将来策として何か案はあるのだろうか?「子どもが使うものなので、そんなに高くはできません。神戸ノートとしてブランドが50年以上続いています。それを利用して学習帳以外のものを展開しようと、ミニノートなどを作っています」
ミニノートは、神戸ノートB7として販売しているそう。神戸のお土産として買ってほしいというが、お土産屋さんには売っていない。売っているのは「ナガサワ文具センター」だ。
ナガサワ文具センターとコラボは多いそうで、「ナガサワ文具センターは神戸押しがすごいので、イベントなどでオリジナルノートを作っています」
メーカーはメーカー、問屋は問屋、小売は小売り、役割が決まっており、一度お付き合いした会社とは長く付き合いで今まで商売をやってきたのではないだろうか?そう考えると、関西ノートは、神戸の会社として永く続いていることが自分なりに納得できる。
関西ノートは、今まで取材には対応しないと聞いていたが、大河さんが相談役になってから広報活動に力を入れ始めたそうだ。その理由は「神戸ノートは関西ノートが造っている。そのことを認知してもらうため」と言う。取材にも対応し、Webサイトも整備した。広報を始めてからWebサイト経由で、夏休みの自由研究のために工場見学の依頼が数件あったそうだ。神戸ノートを造っているところをみたいと言う。ふだん使っているノートより大きいサイズの紙を見て大興奮するそうだ。私も工場見学をさせてもらい、丁寧に手作業でノートを造っている現場を見て感動した。昔から使っているから神戸ノートではなく、上質の紙で丁寧に造られたから長年使われているのだということを知ってもらいたいと大阪人の私は思うのであった。
関西ノート株式会社
〒653-0055
兵庫県神戸市長田区浪松町3丁目2-21号
中埜久仁子